2009/06/29

アナキズムとは何か? - ごく簡単な序章 by Anarchist Black Cross: Article Published in Anarchist Independent Review Vol.1 (Japan) 1994

これはアナキスト・ブラック・クロス (アメリカの政治囚支援組織) によって書かれた文章である。ニューヨーク・アナキスト・ユース連盟によって発表されたことだけは確かではあるが、初出は定かではない。我々は "Wind Chill Factor" 誌上にてこの記事を発見し、翻訳した。

いわゆるアナキズムのオーソリティの言葉に頼らず、自分たち自身の簡易な言葉で、方法としてのアナキズムを説明している。


単純に言おう。アナキズムとは、我々が無階級・無強制で生きていく方法のことである。


我々の関係性の集積を階級と呼ぶ。親と子に始まり、教師と生徒、それから雇用者と労働者の関係に移行するものーさらに看守と囚人、警官と市民、軍隊と国家にまで至る関係性。これを階級という。


男による女の支配。白人による黒人の支配。大人による子供の支配。これが階級構造の端的な機能例である。社会は我々を信じ込ませているのだ。「人間は指導者のコントロールなしには互いに巧くやっていくことはできないのだ」と。


しかし、我々は知っている。自分が何をすればいいのか、他者に対して何をすればいいのか、そして何を獲得すべきなのかを。そこにはカオスがあるかもしれないが、権威に依らず、我々はそれを言おう。権威を手放すからといって、我々が責任を回避することにはならない。まったく逆だ。何故なら、我々は自分で自分に回答しなければならないのだから。


もはや我々はおかしな秩序に従属することはない。もっともらしい関心を装い、他者を罰することはしない。あなたとあなたの友人が、指導者なしにどのような恊働をし、目標を実現したか、考えてみて欲しい。これがアナーキーの原理なのだ。
階級構造が成し得るものを、我々の共働は遥かに凌いでいる! きっと誰かがうそぶくだろう。「アナーキーは絵空事だ」と。しかし、階級構造の完成などあり得ないことは明らかだ。変化の時がきたのだ。

強制は、目的を達成するための権力の行使である。生活の展望を失った人々が、思い通りに振る舞うために、暴力的行為にでる。我々が成長した時、他者の犠牲の上に成し遂げられたことが何らの価値を持ち得ないこと、そして、我々が自分自身にできなかったことを他者に課することはできないと気付くだろう。他者がどのように生活し、どんな機会が与えられるべきか誰も決定することはできないし、それは我々が彼らにとってベストなものが何かを知ろうと試みることさえも同様である。強制とは、凝り固まった信条を暴力へと表面化する行為である。


これらアナキズムの二局面をあなたの生活上、様々なレベルに応用させることは可能である。アナキズムそれ自体が実存するためには、あらゆる方法での実践が為されなければならないのだ。


仲間内では皆、互いに持てる最善の能力に応じて責任と報酬を分け合うべきである。仲間に加わったり、離れたりすることは、各自の意志に基づき自由でなければならない。


職場においては、生産の手段と結果は資本家によってではなく、労働者によって自主管理されるべきだ。現在の社会の中でつまらない仕事をしたくない人や、仕事をしないことを選択した人に対し、いかなるペナルティをも課すべきではないのだ。


宗教に対しては我々自身がどんな権利を持つか、考えてみなければならない。来世での神の報復に対する脅威は、それ自体が支配装置として考えられるから廃棄されなければならない。


環境問題上言えば、我々は目の前の利潤を追求するために力を濫用するのではなく、地球とそこに住むすべてが必要とするものに敏感でなければならない。


我々はあるものが教え、あるものが学ぶという考えを捨て去るべきである。自分自身と我々の世界を探求するための、あらゆる場が用意されなければならない。誰かに知識を強要してはならないのだ。


誰しも皮膚の色・性・年齢・言語・セクシュアリティまたは世界中にはびこる色々な凝り固まった主義主張を駆使することをもって、自らの優越を主張することはできない。差別的暴力は我々相互の間では根絶されなければならない。


投票箱の気楽な幻想にもかかわらず、政府は (いかなる政府においても) それ自身が管理する国民の要求に応えることはない。政府は政府自身のために奉仕し、警察・軍隊・監獄といった恐怖政治で支配する。個別一時的な連合が、被災地を救済するために橋を架けたり、共同体が必要としているのは橋を架けたり、天災にあったら救援を行ったり、祭りを準備したり、そんなこんなのいろんなことをやったりする。それは当事者たちのその場限りの連合というものであり、政府 (統治政体) を作ることではない。


"財産" がある限り階級はなくならない。つまり持つ者と持たざる者とがいるからだ。アナキストの社会においては、生産とは (そしてその他も) 分配を意図しているものである。


あなたがアナキズムに信頼を寄せるのならば、あなた自身の生活や環境において、予測・予言不可能な不可避の結論が存在する。たとえば、政府の "奴隷制" 廃止は戦争の終結によって結論がだされる。家族は所有ではなく愛情によって形成され、そこには離婚も結婚も存在しやしないのだ。


アナキズムとは、ある一個の出来事ではなく、過程である。ある出来事以前、あるいは以降がアナーキーだ、と規定できるような、特定の場・時における唯一の、偉大な、アナキスト革命などというものはあり得ない。アナキスト革命は今も地下で進行中である。


アナキズムとは我々が友人関係、家庭生活、労働、宗教、社会における階級と強制を拒否して生きる方法、そして他のあらゆる実行可能な方法のことである。アナキズムの実践とは階級と強制とに基づいた社会からの疎外を意味し、監獄そして死への一歩ですらある。我々のアナキズムの基準は、存在する、あるいは存在し得たアナキズムの度合いである。我々が必要としている仕事は、アナキストであることが普通の世界であり、信頼と友愛に依る世界の創造である。

by アナキスト・ブラック・クロス

This translation article was taken from "Anarchist Independent Review 1994/1/24 vol.1"

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