2010/11/24

「現実」のゆくえ

たとえば在ミンスクロシア大使館に投げ込まれたモロトフカクテルがほんとうに抗議や不満の行為なのかという疑問もでてこよう。だがそれもどうでもいい。

ベラルーシ当局がアナキスト・ムーブメントにおいて被疑者を特定し投獄している事実がある以上、抗議や不満の行為というのはアナキストによってなされるもので、「アナキストによる抗議や不満の行為」という決めつけを無前提におこなっていることはあきらかだろう。こうして「アナキスト/非アナキスト」 、「暴力/非暴力」といった分かりやすい対立構造をこしらえることによって、人と人との切り離しが意図的におこなわれる。これこそがどうでもよくないことで、現に投獄されている「アナキスト」がいるじゃないか。

たしかに抗議や不満の行為はアナキストのものだが (専売特許ではない)、それを権力が決めるとおかしなことになるのだ。それは私たち自身が決めるものじゃないか。そうすれば「現実」のゆくえも少しは見えてくるんじゃないかな。

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