2010/05/19

「生産社会」の「DIY」

Acclaim っていわゆる「DIY」 とかそんなイメージもたれてると思うんだけど、俺全然「DIY」でもなんでもないんだよね。今は時間に余裕ある労働にめぐまれてるから飯つくるぐらい。チャリ壊れたら自転車屋に修理に出すし、終電乗り遅れたらタクシー使うし (カネきびしくても歩きたくないときだってある)、パンツのボタン取れたらともだちにつけてもらうし (笑) 「自分でやれ」・「自分でできる」って言われたってやりたくないことだってあるしなあ。まあそんなのが「DIY」じゃないと思った人は正しい。

この野蛮な「生産社会」のなかじゃ、俺らは別になにも生産しなくたっていいんじゃねえの。あちこちで「生産、生産」ってまったくうるせえもんな。そんなんで俺らは選別・差別するんだろが。かつて存在したものを生産するのが「DIY」って言うんなら俺はいらん。かつて存在しなかったものを生産するのが「DIY」って言うんなら別だけど。物理的な意味じゃないよ。俺らは見えないものを見ようとしなきゃいけないってことだ。閉ざされた考え。閉ざされた感情。閉ざされた他者。閉ざされた地球 (ってこれは拡げすぎか)。そうすれば、「DIY」なんて後からついてくる。はっきり言って「DIY」なんて二次的なものでしかない。

「生産社会」のなかで「DIY」をぬかす空しさよ。

No comments:

Post a Comment